センチメモリー/センチメモ

いつの間に私たちはこんなに遠くへ
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文学の言葉

 ノーベル文学賞、ドイツのヘルタ・ミュラー氏だそうですね。
 春樹が取るのを期待して正座して発表待ってたという父を、『1Q84』はあれでいいのか、ああいう展開にファンは怒りをおぼえないのか、と真剣に問いつめたのですが、なんかあんまり気にしてないみたいだった。
 父は世代的に大江健三郎もかなり読んでいるはずなので、ああいうのが文学だと思わない? そうしたら春樹は何か違わない? とも迫ったのですが、「そうだけど、大江は読みにくくてさ……」って言われた……えー、読みやすさの問題なの! いや純文学は読みにくくあるべき、なんて1ミリも思ってないけど、むしろ何であれ読みにくいよりは読みやすいほうが絶対にいいと思ってるけど! 難解であればあるほど高級みたいな思想はくだらないと思うけど!
 口あたりの良さ=おいしい、ではないだろう……。
(だけど読みやすい本と聞きやすい音楽だけあればいいっていう人も世の中にはいっぱいいそうだな……)
 確かに春樹の文体は圧倒的に読みやすいし、それは彼の美質だと思うけれども。

 そもそも「読みやすい本」は人によって違いますよね。文化的・思想的な背景が近い著者の文章はなじみやすいし、すーっと入ってくるように感じます。 海外の古典が読みにくいのなんて当然な気がする。
 かと思えば私の弟みたいに遠い文章(SF・海外古典・ファンタジー)じゃないと読めないっていうタイプもいるし。新宿の山田さんが出てくる話とか全然無理なんだそうです。イリノイ州のジミーとかじゃないと入っていけないんだって(笑)

 父は最終的に「村上春樹が純文学だとは思わない」とあっさり言いました。
 そこまでわかっているのに、なぜノーベル文学賞受賞を期待できるんだ…… 春樹はどうしても、どこまでいってもエンタテイメント側の人だと思うんだよね。ジャンルが違う気がする、ノーベル文学賞取るような作品とは。

 私が思う「文学(純文学)」は、「文学の言葉で書かれている作品」です。内容よりは、文体というか、言葉が違う気がしています。
「文学の言葉」以外の語彙が今の私にはなくて歯がゆいんだけれども。最近の日本人なら川端康成とか、三島由紀夫とか、安部公房とか、そのへんの作家の文章。
 ただ、春樹に限らずいま生きている作家でその言葉を使っているなという人は、ほとんどいないように見えます。

 朝ご飯食べながらだらだら書いてしまった……
 キュウリとチーズのサンドイッチがずーっと食べたかったので作ったんですが、思えばこれ、『1Q84』に出てきておいしそうだったのを延々引きずっていたんだよな……そういうふうに考えるとやっぱり力のある文章なのかな(笑)
本・活字 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | 麻子
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