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君の愛がなければ、それはただの安物芝居にすぎない

評価:
村上 春樹
新潮社
¥ 1,890
(2009-05-29)
コメント:「そしてほとんどの人間は痛みを伴った真実なんぞ求めてはいない。人々が必要としているのは、自分の存在を少しでも意味深く感じさせてくれるような、美しく心地良いお話なんだ。」まったくそのとおりだと思いますが、この小説こそがまさに「痛みを伴った真実」に見せかけた「美しく心地良いお話」に見えます。

  本来書かれるべき物語が手に負えないので、楽に書けそうな外伝やスピンオフにあたる部分だけで成立しているような、一次なのにある意味二次創作的な作品が非常に多いと感じる昨今ですが、まさかノーベル文学賞に手が届くと言われる小説家までがそうだとは思わなかった。
 これが日本文学のひとつの頂点と見なされるなら、もう純文学は終わりなんじゃないかな……

 人が集団になるということについての物語なんだと思ってた。その特性が最も極端に顕れるケースとして、過激派とカルトが選ばれたんだろうと。
 青豆が「証人会」(エホバの証人を強く意識させる)=宗教を理不尽に背負わされ、対して天吾はNHK=国家を理不尽に背負わされているという構図で、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」も天吾を目眩とともに襲う記憶も、ふたりが理不尽に背負わされた集団からの暴力の痕跡、なんだと思ってた。
 全然関係なかったです。「あけぼの」も、「さきがけ」も、戎野先生も、ふかえりも、リトル・ピープルも、空気さなぎも。
「シンフォニエッタ」なんて意味ありげに出す必要全然なかったじゃん。不必要な小道具をばらまくだけばらまいておいて、それでよく、「物語の中にいったん拳銃が登場したら、それはどこかで発射されなくてはならない」なんてかっこつけて書けるよね……
(あ、いま読み返したら天吾が高校のときに臨時のティンパニ奏者として駆り出されて、コンクールで叩いたのが「シンフォニエッタ」だった。そもそもこのエピソードの存在意味もよくわからなくて、忘れてた)

「世間のたいがいの人々は、実証可能な真実など求めてはいない。真実というのはおおかたの場合、あなたが言ったように、強い痛みを伴うものだ。そしてほとんどの人間は痛みを伴った真実なんぞ求めてはいない。人々が必要としているのは、自分の存在を少しでも意味深く感じさせてくれるような、美しく心地良いお話なんだ。」
 まったくそのとおりだと思います。
 ただ、私には『1Q84』こそがまさに、「痛みを伴った真実」に見せかけた「美しく心地良いお話」に見えます。

 ふかえりの描写がひどい。
 何度でもしつこく繰り返しますが、ノーベル文学賞を期待される作家が、ヒロインを「美しい少女」と馬鹿のひとつおぼえみたいに連呼するってどうなんですか。後半はふかえりの仕草から外見からとにかくふかえり絡みの全部に「美しい」がついてた印象です(第14章からざっと書き抜いただけでも、「十七歳の美しい少女」「彼女の小さな美しい耳」「そして空中にするりと小さな円を描いた。……美しい完璧な円だった」「それはとても美しい眺めだった」)。
 陰毛がなく、「大人のペニスが入るとはとても思えな」い「できたての小さな性器」を持ち、「わたしはニンシンしない。わたしにはセイリがないから」と(避妊具なしで射精した天吾に向かって)言うふかえりを性的に描く視線には、非常に根深く屈折した(本人はそれと気づいてすらいない)ペドファイルの気配がして、個人的にはものすごく嫌悪感を持ちました。日本人男性がみな無意識に持っているロリコン趣味みたいな……。アダルトゲームをあれほどヒステリックに叩くなら、この小説の歪んだ小児性愛としか思えないベッドシーンもきちんと批判してくれ、国際社会は。
 ふかえりというキャラクターじたいはそんなに嫌いではないので、彼女の描写がどんどん性的になっていくのを、もうホント作者はこれ以上ふかえりにセクハラしないでくれ、けがさないでくれと思いながら読んでいました……

「ソニーとシェール」「地上最強の男女デュオ」「ビート・ゴーズ・オン」
 ……という天吾とふかえりに対する修辞も、ソニーもシェールも知らない身にはひたすら寒い(知らないけどなんかかっこいい! と思わせるほどの力がそこにはないので)。

 肝心なことは何も書かれないまま放り出されて終わるので、続きが求められるのも当然かとは思いますが、私はもうここまででいいです……。1を読了したとき、きっと続きで語られているに違いないそうであってくれ、と思ったことが結局2では全く語られていなかったので。
 どうせ続いたとしてもこの先にあるのは青豆と天吾の嘘っぽすぎる「純愛」なんでしょ……と思ってしまう内容だったよ、2は。

「君の愛がなければ、それはただの安物芝居にすぎない」という引用も作中にあったけど、本当に「安物芝居」だった……
本・活字 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | 麻子
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