センチメモリー/センチメモ

いつの間に私たちはこんなに遠くへ
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あれから10年、そして

 あれから10年経ったなんて。

 湾岸戦争を「テレビゲームの戦争」だと言ったジャーナリストがあったらしいですが、これはまるで映画。

 
一日中TVを見ていました。ずっと父の事務所にいて、ずっとTVを見ていました。

 
色々な事を考えました。

 
世界中に重いダメージを与えた、海の向こうの事件を嘆いてうわのそらになるのと、目の前の日常でいっぱいいっぱいで遠い国の事など気にしていられないのでは、どっちが人として自然なんだろう。とか。

(そもそもこんなことを考えてられるのは、私がバイトもしないでヒマにしてるおかげだ...)

 
どうして私には何も出来ないんだろう。とか。

 
スギちゃんは悲しんでるだろうな、TAKUROは何を思ってるかな。とか。

 
父は世界貿易センターがあっけなく倒壊したことにショックを受けていました。私は衝突した飛行機がハイジャックされた旅客機だったことが一番ショックでした。こんなときでも人それぞれなんだなあ。

 
皆が言うようにもうこれは実質的に戦争なんでしょう。
 それでも大義名分の上だけでも戦争はしないで欲しいとそんなことを思うのは綺麗事なのでしょうか。(だとしても私は強く強くそう思います)

 2001年9月11日、サイトで書いた日記です。
 オサマ・ビンラディンを殺して一区切り、にしたいのかも知れないけれど、この10年でアメリカはびっくりするほど力を失った、ように見えて、あの事件の傷の深さにあらためて愕然とする。
 物理的なダメージも勿論だけど、あんなやり方をされたら本当に心が砕けてしまう、というような象徴的な破壊だったと思います。

 日記に書いたとおり、当時の私は取り憑かれたようにあの映像を繰り返し繰り返し見続けていたんですが、一年ぐらい経って見るのがひどくつらくなりました。恐怖で動揺してしまう。
 この先の人生でこんなに怖い映像を見ることはないだろう、もう死ぬまで見たくない、こんな無力感を体験せずにすみますように、と心の底から祈っていました。

 ……それなのに、今度は自分の国であんなひどい光景を見せられるとは思ってなかった。

 昨日のことのようにも思えるし、もう一年ぐらい前のことのようにも思えるけれど、3月11日から今日で半年です。
 福島第一原発はどうなったのかよくわからないまま、少なくとも東京の私は去年の今頃とあまり変わらない日常を過ごしている、ような気がします。
 スーパーで売られている福島産のきゅうりを見て毎日どうしていいかわからなくなるけど。

 現地を視察して、「死のまち」という表現をした経済産業大臣が引責辞任したそうです。
 この表現はもちろん不穏当だし、もしかしなくても私がこれからこういうことを書くだけで福島にお住まいの方は不快な思いをされるのかもですが、……「撤回して訂正、謝罪」という対応には私はどうしても違和感があります。

 「本当のことを言ったら患者が可哀想だから」って「癌だというのは誤りで、胃潰瘍でした」って言われているみたいな。
 真に必要なのは適切な治療なのに。

 本当の本当に、福島第一原発の周辺市町村が「死のまち」ではなく、人が暮らしていても問題ない環境だというのならば話は別ですが、……もしそうじゃないのなら、まず考えるべきはそこで生活している人たちの安全なんじゃないかと。

 うつくしまふくしまの福島が、FUKUSHIMAになってしまうとしたらものすごくつらい。

 これ以上こんな惨いことが起こりませんようにと、祈らずにはいられません。
 そのためにはきっとこのつらさを忘れてはいけないのだろうなと思うので、つらいけれど、書きました。

つらつら思う | 13:36 | comments(0) | trackbacks(0) | 麻子
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