センチメモリー/センチメモ

いつの間に私たちはこんなに遠くへ
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贋作 桜の森の満開の下

 NODA・MAPの「贋作 桜の森の満開の下」を観ました。
 坂口安吾の原作(「桜の森の満開の下」「夜長姫と耳男」)はどちらも好きすぎて何度も読み返しているし、夢の遊民社の代表作として名前だけはずっと知っていて、でも生で観られるとは思っていなかったので、再演のニュースを見たときはびっくりしたし、なんとかチケットを取れたのは今年いちばんのラッキーでした。

 観られてほんとうによかったです。ものすごく残酷で、ものすごくうつくしい幻想だった。

 

 色とりどりのテープを使って、舞台上の空間を自在に区切る演出がとてもきれいでした。桜の森に横たわる鬼たちや死者を覆った紙を下から伸びてきた手が突き破ったり、青みがかった玉虫色にきらきらする紗を空のように巻きあげたり、布や紙の使い方も印象的だった。
 ステージ前方に坂があり、客席と同じ高さまで下りられるつくりになっていて、その高低差もうまく使われてました。溝の上から棒を渡すとそこが牢になったりする。

 

「桜の森には冷たい虚空がはりつめている」とか、原作の小説の印象的なフレーズも繰り返し出てきました。「にわか雨とか戦争とか、人間は突然起きることが好き」「戦争はときめく」みたいな夜長姫の台詞も、安吾の小説と通底する感覚だなと思った。
 ヒダの国のヒメたちのために三名人(のふりをした登場人物たち)が競い合って持仏を彫るという話が壬申の乱につながり、天皇と「鬼」と呼ばれたまつろわぬ者たち、歴史と国家が暗示される物語になってゆきます。「お日さまが、うらやましい」「こんな風に死ぬ人をみんな見ていらッしゃる」と叫んだ夜長姫が羨む「お日さま」とは天照大神ではないのか、と思ったりもしました。
 いろんなことを考えながら観ていたけれど、終盤、夜長姫と、目に見える「鬼」として名指された耳男が桜の森に逃げ込んでからは舞台上の景色がただただうつくしくて、圧倒されました。逃げる鬼たちを追いかけては殺し、オオアマが「この国の北の境がさだまった」と告げ、南、西、東と同じことを繰り返す場面と、そのあとの、帝の御幸と交錯する鬼の道行きはうつくしすぎて夢のようだった。

 そして安吾の小説の結末をそっくりそのまま現出させたようなラストシーン、茫然としてしまいました。

 

 役者さんたちも良かったです。夜長姫の深津絵里が、無邪気な童女のころころした声から「バケモノ」そのものの低い声まで、声音を完全に使い分けていてちょうすごかった……! あと天海祐希さんのオオアマはめっちゃかっこよかった、立ち姿とか跪く姿勢とかがいちいちかっこよくて、さすがでした。

 妻夫木くんと古田新太さんと大倉孝二さんも安定のうまさだった……

 

 初演は昭和天皇崩御直後の平成元年二月だったそうです。そして三十年後の今年は平成最後の年。
 そのあたりの政治性は、いまこのタイミングで観たからこそ響いた、という気がします。たとえば十代や二十代の私では知識不足で、観てもわからない部分がたくさんあったと思う。

 よくわからないまま、あの桜の森の壮絶なうつくしさにただのみこまれてしまっただろうな、と思うと、それはそれでよかったような気もする。実際、時間が経つほどに「夢のようにうつくしかった」という思いばかりになってゆくので。

舞台・展覧会・イベントなど | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) | 麻子
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